開院までの道程
こんにちは👋、オキュロフェイシャルクリニック京都、藤本です。 自己紹介、、、と思いましたが、 今回はオキュロフェイシャルクリニック京都開院までの道程を紹介します。 私は京大眼科の医局出身で、眼科医としてのキャリアをスタートしましたが、ちょっと変わった経路をたどって今にたどりつきました😊。 最初は、白内障や緑内障など、目の中の一般的な病気を中心に診療してました👀 大学の医局のドクターは関連病院で働くのですが、京大の関連病院に一つだけ異色の病院がありました それが兵庫県の塚口病院(今は尼崎病院と統合)という病院でした。 そこは涙道手術、特にDCR(涙嚢鼻腔吻合術)の手術件数が日本一の病院で、毎日、ほぼ一日中涙道診療(なみだ目の診療)をしているという特殊な病院でした👀💧。 この病院での勤務で、私のノーマルだった眼科医人生が急転回していくことになります 塚口病院の出勤初日、女医の部長から病院長に紹介された時のことは今でも鮮明に覚えています 「こちら、新しく来た藤本先生。今までの先生はほとんど女医さんで、ひさしぶりの男性のドクターだけど、前の男性ドクターは途中で辞めたからなー。男性ドクターにいい思い出なんかないわ」 と言われたんです😅。 実は、前任の男性ドクター 昼間は眼科医、夜は三宮でホスト をしており、夕方以降連絡が取れないことが多かったみたいなんです。 でも5つも携帯電話を持っていたので、1つぐらい電話番号を教えてと部長が言っても、 「5つとも営業用だから無理っす。先生が携帯電話買ってくれたらそれを持ってもいいです」 と言われたり。。。 そうこうしているうちに辞めてしまったようです 初日から不安な中、スタートした私ですが、せっかく働くなら没頭したいと思い、 毎日朝から晩まで涙道診療に専念しました。 部長も一緒に働いてみるとすごく気さく お子さん3人を育てながらも日本一の涙道診療を行う魅力的な先生で、 私にとって大きな刺激となりました🌟。 また、病院には毎週のように全国からドクターが 「塚口病院ではどんな感じでDCRをやっているのか?」 と見学に来ていたのですが、 その中にオキュロフェイシャルクリニック理事長の鹿嶋先生がいました。 そして、この時の出会いがきっかけで、眼形成の道を歩むことに 大学に戻ってからは、眼形成・涙道の外来を担当し、さらに眼腫瘍診療にも力を入れるようになりました。 しかし、大学病院ではいろいろな制約があり、手術の枠にも限りがあるため、 多くの患者さんを待たせてしまう現実に直面しました😔 大学でのDCRの手術は一年待ちです。。。 また、外来診療を行うにあたり、2つの壁にときどきぶつかることがありました。 一つ目は、保険での眼瞼下垂手術後に 「左右の二重の幅が違う。左右きれいな二重で形をそろえてほしい。脂肪もきれいにとってほしい」 二つ目は、甲状腺眼症の患者さんに 「とびでた目をなおしてほしい」 でした。 保険診療のみを行っている病院ではこの2つのどちらにも応え続けることはできません。。。 一つ目に関して、保険診療のみを行っている医師は美容外科を受診してくださいと言うことになってしまいます ただ一方で、美容外科で手術を受けたがうまくいかず、修正の手術でさらに高額な料金を請求されたので、どうにかしてほしいと受診してくる患者さんもいましたし、 美容外科の先生がまぶたの手術は10年で1000件してますとか書いてたりするのですが、 私は1年で1000件近くまぶたの手術をするので、「美容外科を受診してください」 と言うことに違和感を抱いていました。 二つ目に関しては、眼球突出に対してきっちり治療をしているのは 日本ではオキュロフェイシャルクリニックだけだったので、 治療希望の患者さんはオキュロへ紹介してました。 10年以上前から鹿嶋先生には眼形成手術を指導してもらっていましたが、 「東京に来てオキュロ東京での手術を学んで、それで京都でオキュロをしてはどう?」 と誘われ、今抱えている問題が全部解決するなーと思い、引き受けることにしました。 これが京都開院までの道程です 関連記事